beautiful one

美しいと思うもの

なんか欠損がある物が美しいと思う。
大事な何かが欠けている物。
その点以外は完璧と言っていいのだが、
中心というか、核というか、
その一番の要素が、決定的に失われているもの。


それはもう絶対に戻って来ないものなので、
いつも心のどこかに悲しみがあるような。
でも、それを乗り越えている、、、
というか、うまく共存しているもの。


ただ単純に綺麗な人や物は
なんだか分かり合えない気がしてしまい、
あまり興味が持てない。
(でも、そんな人はほとんどいない)


多分私は物心ついた頃から、
何かがずっと悲しいのだ。
欠損がある人は、
何かそれを共感できそうな気がするのだろう。

そういうの、たまに考える。


数年前、ほとんど初対面の人たちと
まあまあ大規模なグループ展をした。
最後、手作りのファッションショーがあった。
服を作った人も、モデルも全部素人なのだが、
終わりの方で、片方の腕の肘から先がない女性が現れた。

すごく綺麗だった。
全ての要素を含めてその場所で一番綺麗だった。

結局終わりまで、一度も口を聞かなかったけど。
(なんせ九割知らない人達だったし)
感動しつつも、それを誰にも話さなかった。


あとの人の事は忘れちゃったけど、
いまだにその部分だけ、くっきり覚えている。


多分その人は、普通にしてても綺麗な人だったんだろうけど、
その「何かがない」という事で尚更素敵に感じられた。


多分私にとって、
全てが完璧で揃ってる、なんてのは
「さて、あなたはどれか一個欠けたら一体どうなっちゃうんでしょうね」
といった感じで「弱く」感じてしまうのかな。

「大事な何かが無いのに、普通に生きている人」は、
「他に何かを失ったとて、ひるまず生きていける強い人」
に見えるのだろう。


論点はちょっとずれているかもだが、
感心するもの。
それは笑わないもの。

結合して産まれた双子のベトちゃんドクちゃんという人達、
数年前、たまたまテレビで見かけただけなんだけど、
それもやっぱり感動していまだに忘れない。

彼らは分離手術をして、
つながった2人から、
バラバラの二つの個体になった後、
最終的に片方は亡くなってしまった。
もう片方は生きていて、
可愛い女の子と結婚もしたのだが、
彼は「兄の為に、僕は一生笑わない」と
テレビのインタビュアーに答えていた。
(実際普段から笑って無い様子だった)


私は分かる、その気持ち。
私もやっぱり彼の立場だったら、
笑わないだろう。

私も笑わない子供だった。
時には喋りもしない子供だった。

それはただ単に機嫌が悪いとかじゃなくて
(そういう人間は1番たちが悪いと思う)
何かの為に黙ってて笑わないのだった。


今現在は宗旨変えと言ってもいいくらい、
しょーもないことで腹を抱えて笑っているし
それはそれで正しいんだ、
と思うようになったけど、
そういう、笑わない人のことは、分かる。
意味もなく笑う連中よりはよほど人間らしい。


ただ、その亡くなってしまった方の
双子の片割れは、生き残った片割れに、
笑ってて欲しいと思うのかもしれない。
あるいは、やっぱり自分の為に、
笑わないで生きて欲しいと思うのかもしれない。

それはその立場にならなければ、
絶対に分かりはしない。
分かりもしない連中がとやかく言うべきではない。


ただまあ、何かを失っても失わなくても、
笑ってても笑わなくても、
どっちだって自分で選んでいいのが、
人生なんだよなあ、と思う。


だからもし、この長い人生で、
その双子の生き残りに会って話す事があるとすれば、
「あなたが笑ったら、あなた自身やあなたのお兄さんは
それについて怒るかもしれないが、
私は、怒らないよ。許すよ。
あなたは楽しく生きていいんだよ。」
といった趣旨の事が、その国の言語で伝えられたらいいなあと思う。