明るい部屋

東京都写真美術館で十日から行われている、
高谷史郎さんの「明るい部屋」という写真展を見て来た。

私が唯一定期的に買う雑誌、
装苑で特集されている展示だから、
十中八九良いだろう。

やはりとても良かった。
入館料の500円以上の価値あり。

地下一階の、そんなに広すぎないコンパクトな空間だったが、
全体的に静かで、ひっそりと品の良い展示だった。
非常に私好み。

入ってすぐに、
真っ白な壁にモノクロの大きな雲の写真が並んでて、
何とも言えず好きな感じだったので、
しばらく無心になって立ち尽くしてしまった。

土日の混んでる時間帯だったら、
「何やってんの!早く進んでよー」と
後ろの人に押されてたかもしれないけど、
そこは平日の午前中の和やかムードです。
私以外の鑑賞者は二、三人と程よい混み具合。

やっぱり写真はモノクロの無機物に弱い。

写真だけで無く、
映像作品やアクリルの立体作品もある。
全体的に静かで時間が止まった感じ。

風が強い日で、
どこかから風の音が聞こえる。
晴れた日に聞く強い風の音は、とても好き。

目の前の色のない静かな写真を見ていると、
子供の頃の日曜日の朝の気分を思い出す。

まだ、世の中の事をなーんにも知らないんだけど、
何にも知る必要はなくて、
平日の朝みたいに皆がバタバタイライラしてなくて、
今日一日をどんな風に過ごしても良くて、
なんでも出来てしまいそうな
その自由さだけ感じているような気分。

 

説明難しいけど、
太陽の光と風と空と土の存在は物質として知っているけど、
それらの名前はあってもなくても良いんだよね、というような...。


面白い作品はたくさんあって、
私がもうちょっと馬鹿でプライドがなかったら、
親の金を持ち逃げして買って逃げたい作品があった。

丸くて、動く空。
編まれて行く、岩石。
透明の45°の立体。
離れた景色がうっすら浮かぶ、小さいカメラ。

でもその30分で味わうからとても価値があるのであって、
多分家に持って帰った途端に意味がなくなるから、
買わない。(というか買えんだろ)

一つ、ちょっと不思議な事があった。

今回の展示作品の一つに、
テーブルの上に開かれた本を使った作品があったのだが、

その開かれたページというのが、
一週間前にここのギャラリーショップのナディッフで
たまたま読んだページだった。

 

開いたページ写真の上には三つテレビ石が置かれていた。
なんかファイバーオプティックプレートってシャレ乙な書き方してたけど、

完全にテレビ石じゃん。

好きだからポーチに入れて持ち歩いてる。

しかしデジャヴなのか、思い違いか、

はたまたなんか深い意味があるのだろうか、と考えつつ

内心「???」だが、一人で見に来てるから

驚きは隠して普通に振る舞う。

 

本は、今回の展示のタイトルにも関係している
ロラン・バルトって人の”事後と沈黙”というタイトルの本。


展示を見終わって、一階のギャラリーショップでもう一度その本を探す。
一週間経って、場所がちょっと変わってたけど
でもその本は売っていた。
やはりそのページ。

なんて事ない一文だ。

 

「黒人達は広場の映画にはさして興味も無く見なかったが、

通りを横切って行くオンドリの方ばかり見ていた」

なんでこのページを開いて読んだのか、
もう考えても意味がないだろうな。
そう思って、ビュービュー風が吹く中、
駅に向かった。