齋藤洋道 写真展



すべてのものがたいらにたっているせかいをうたいたい

ぜいたくにも世界は黄金色だからね




齋藤洋道さんの写真展「宝箱」をワタリウムで見た。

今朝まで全然知らない人物だったのだが、
好きな雑誌に記事がちょっと載っていたこと、
耳が聞こえない人だという事、
よしもとばななと筆談トークショーをしていた事、
表参道に久しぶりに行こうと思っていた事など、
いろいろな要因が重なったので、見に行く事にした。

いい展示でした。

 

写真だけでなく、
文章もとてもうまくて、
三階の柱に書かれた文章は
胸にせまるものがあった。

誰もいなかったので思わずメモったのが
上記の文だ。

他にも、シャボン玉や風になぞらえて
彼の人生や写真に対する思いを綴っていた。

 

写真だけでなく、文章もとても真っ直ぐ。


彼の写真の特徴は、
とにかく真ん中に、主役を置いて、
あとの事は省く!って感じだった。

 

[真ん中のが、僕がいいと思ったものです]と聞こえそうなくらいだ。


そういうのって、
ストレートでシンプルで強い。


私は人物の写真って、
生々しくてちょっと苦手で、
さすがにこの展示でもそれは変わらなかったけど、
楽器や雨など、
「音」が聞こえて来そうな写真が
綺麗だな、と思った。

でも、
「ああそうか、この人は音が聞こえないから、
この写真には本当は音がないはずなんだ...」とはっとした。

 

それって毎日写真の中みたいなものなのかな。


産まれた時から耳が聞こえないらしく、
ちょうどその楽器などの写真がある三階の壁には
「音楽は永遠の片思い、寂しいけど、でもずっと想っていられる」
と書かれていた。

その、ずっと想っている、感じがするのかな。

目が見えないのに、美術館に行く、

そこで作曲をする。
そんな場面を想像した。

奥の部屋では写真のスライドショーが
壁に映し出されてて、
数秒ごとに、いろんな写真が浮んでは消える。

勿論BGMはなくてシーンとしてる。
そんな静寂の中、ベビーカーの赤ちゃんが、
急にヒステリックに泣き出して皆そっちに気を取られる。

「ああ、耳が聞こえなければそっちを見ないんだな、
斉藤さんには「うるさい」って事自体ないのか」と思った。

音の無い世界、光の無い世界って、
何が聞こえて何が見えるんだろう。

三階に誰もいなくなって、
1人で暗いスペースのスライドショーをずっと見ていたら、
「この人は、憧れるあまり本当の音楽より綺麗な音楽が聞こえてて、
本当の音楽を聞いたらがっかりするんじゃないかなあ」
と思った。

なんだかいろいろ、
物の見方を考えさせられる
写真展だった。